「採用」と「遊び」

個人的にですが、「仕事と遊び」というテーマ、とくに「(採用を含めた)人事と遊び」というテーマが最高に熱いです。
 
「仕事」と「遊び」・・・・最も対極にあるように思えるこの2つですが、これらの間に密接な関係があることが、かなり前から指摘されていました。
古くはヨハン・ホイジンガの「ホモ・ルーデンス」やロジェ・カイヨワの「遊びと人間」のなかで、
より最近でいえば、ジェームズ・マーチの「組織におけるあいまいさと決定」やミハイ・チクセントミハイの「楽しみの現象学」なんかにおいて。
 
ちなみに、ここでは「遊び」を、上記のカイヨワにならって以下の要件を満たすものと定義しておきます。
遊びとは・・・・
(1)参加への「強制がない」という意味で自由であり、
(2)物理的時間的に、「日常から隔離」されており、
(3)多かれ少なかれ「未確定」な部分を残しており、
(4)本質的に「非生産的」であり(すくなくとも、何かを作り出すことを主目的としていないものであり)、
(5)とはいえ一定の、「特有の規則・ルールが支配」しているが、
(6)そのルールや結果が及ぶのは、「その遊びの範囲内のみ」であるような活動をさす、
・・・・・と。
 
僕がみるところ、ここ数年の間に、人材マネジメント(とりわけ採用や育成活動)の中に、さまざまな形で「遊び」の要素が散見されるようになっています(すくなくとも、僕にはそう思えます)。
たとえば、「脱面接」を標榜して「脱出ゲーム」や「人狼ゲーム」などの「ゲーム」を採用選考に取り入れり企業が現れたこと、
説明会においてフラッシュ・モブやパフォーマンスなどの、種々の「サプライズ」を提供する企業が増えていること、
「プレイフル(遊びにあふれた)」な研修を行う企業が登場し、そうしたコンテンツを提供する業者が増えたりしていることなどが、その具体例です。
なにより・・・・「ゲーミフィケーション」という言葉の流行が、「遊びと人事の接近」を物語っているかもしれません。
 
就職(採用)活動のなかに入り込んだ「遊び」は、企業側と個人側に何をもたらしたか
・・・・・・これが、研究者としての僕の問いです。
これはさらに2つのモジュールに分解できると思います。
 
「遊び」の本質が、カイヨワのいうように日常からの「隔離」にあるとすれば、「就活(採活)」と「遊び」との接近を、「就職(採用)というシリアスな世界のなかに、物理的時間的に隔離された、遊びという特異な世界が出来あがること」と、捉えなすこともできるように思います。
たとえば選考において脱出ゲームが行われる場合、求職者は一時的にではあるけれど、「就職活動のルール」(隣にいるライバルに最大限配慮しているように見せつつ、ソフトかつジェントルにその人を凌駕する・・・といったルール)から部分的に解放され、そのゲームに「特有のルール」(とにかく、誰よりも早く、脱出に成功する・・・といったルール)によって支配されることになります。
「日常から隔離」された、「特有の規則・ルールが支配」こそが、ゲームの本質だからです。
 
しかし、この「解放」はあくまで部分的な解放でしかなくて、求職者は、「就職活動のルール」が許す範囲内でそのゲームに興じるしかないのです。
「就職活動のルール」をわすれて、純粋に脱出ゲームに興じた者を待っているのは、脱出ゲームにおける勝利と就活における敗北でしかありません・・・・。
つまりこのとき、「就活ルールによって、(純粋な)ゲームのルールが支配される」という現象が起こっているわけです。
・・・・だとした時、「採用における『遊び』は、どこまで(純粋な意味での)遊びであり得るか」というといが浮かんできます。
これが上記の問いの、1つ目のモジュールになります。
 
もう1つのモジュールは、「そもそも 就活(採活)自体が、一種の『遊び』という側面を持っている」ということに関わります。
念のため断っておきますが、「就活(採活)が取るに足らない/くだらないことだ」といいたいわけでは、決してありません。
ここで言いたいのは、参加への「強制力」がなく、「日常から隔離」されており、その活動に「特有の規則・ルールが支配」しているという意味で、就職活動もまたカイヨワのいう「遊び」の範疇に含まれてしまうのではないか、ということです。
僕のこの認識が正しいとすれば、「就職(採用)活動のなかに、ゲームのような『遊び』が入り込む」という現象は、「日常生活の中に『就職活動』という遊びが入り込み、さらにその中に『ゲーム』という遊びが入り込むという、二重の意味での『遊びの混入』に他ならない」・・・・とは言えないでしょうか。
「日常の世界」の中に「就活という世界」があって、そのなかに「ゲームの世界」がある・・・・というように、マトリョーシカのような入れ子構造になっているように思うのです。
・・・・だとした時、「こうした二重に閉じ込められた場の中で行われるゲームのなかで、求職者はどのように遊び、企業側はどのように振舞うのか」・・・・これが2つ目のモジュールです。
 
・・・最後に断っておきますが、僕は、「採用と遊びの接近」について批判的なスタンスをとっているわけでは決してありません。
むしろ逆で、「就活(採活)」と「遊び」という現象を、とても面白く、かつクリエイティブで、採用の新しい形を切り開く有望な方向性だとすら考えています。
だからこそ、それが企業や個人にとって持つ意味を、虚心に眺めてみたいのです。

長々と失礼しました。