ミサワのちょっとしたゼミ日記~2015ver~

 

 

こんにちは、二期生のミサワです。今回は2015年の振り返りをコチラに書きたいと思います。僕にとっての2015年はゼミの年であったと言えます。そんな僕の一年間、少しのぞいてみて下さい。

ゼミの活動がスタート

 

 423日木曜日、東京は日比谷公園前のオフィスビルで、私たち服部ゼミ2期生の“ゼミナールとしての”初めてのADWプロジェクトがスタートした。春の日差し暖かく、東京の企業へ出向くということもあり、気分はさながら校外学習へ向かう小学生のようなものであった。ランドマークタワーのそれには僅かに及ばないがものすごいスピードで昇降するエレベーターに乗りADWオフィスへと案内され、はじめに互いの自己紹介をし、その後同社の会社説明会をお聞きした。企業の説明会というものをキチンと聞くのは初めてで、ほうほう会社説明会とはこのようなものかと思った次第である。

 

 ADWプロジェクトは、企業の説明会をコンサルティングする過程で、採用とはなにか、どんな説明会が効力を発揮するのか、といったことをゼミ内を少人数のグループに分割し、考えるプロジェクトである。私の所属したチームはみかん。このチーム分けは先生がこれまでで抱いた我々の発言特性の印象で、各グループが均等になるように設定されたらしい。私の役割は、散らし屋(議論において、意見をさまざまな方向に散らしていくスタイル。よく言えば発想力豊か、悪く言えばまとまらない。そんな発言特性のようだ笑)であった。企業とのコラボレーションに胸を躍らせ、ADWプロジェクトが始動した。

 

このプロジェクトは1129日の最終発表まで3年次のゼミ活動の大きな柱となるのであった。

 

 

 

 

 

ゼミ生によるゼミ生選考

 

 横浜国大では2年次の秋学期から「基礎演習」というゼミの準備運動のようなものが存在する。まぁ基本的には基礎演習で仰いだ教授のゼミナールに所属することになるので、実質的なゼミのスタートである。我々服部ゼミでは、新しいゼミ生の選抜を先輩ゼミ生が行う。2期生である私はひとつ上、すなわち服部ゼミの栄えある1期生に選抜されたのである(1期生は先生が選抜したわけだが、卒業の際に自身がどのような理由で選抜されたのか知らされるらしい)。それゆえ、ゼミ生によるゼミ生選考の第二弾の構想を練る時期がADWプロジェクトが始まってすぐにやってきた。

 

3期生の選抜を行うのは、私たち2期生である。1期生がどのように選考基準を設定し、選抜方法を検討したのかを聞きながら、このゼミに必要な人物とはどのような人物なのか、どうやったらそんな人物が興味をもってくれるのか、どうしたらそんな人物を選抜することができるのか、そういったある意味答えのない事柄を、時には定刻を大幅に超えながらも、最適解へ近づけるため知恵を絞り論議を重ねた。人物像を構成し、ゼミの説明会を宣伝するチラシを作成し、ゼミ説明会を開催し、選抜方法を検討し、高い倍率に臆することなく志願してくれた後輩諸君が不当な評価を受けないよう、採用学を学ぶ身として選考に真摯に向き合い、夜遅くまで選抜を行った。

 

企業の採用(採用する側)と同等のフローを体験できたことは、採用学を実践的に体感できる貴重な機会であった。最終的に選抜に至った10名は私たちの想定以上に優秀な、それでいて服部ゼミのカラーが引き継がれた10名であるように思う。(おそらく、服部先生が採用学を研究し続ける限り、このゼミ生によるゼミ生選考は連綿と引き継がれる服部ゼミの伝統となると思う。)

 

 

 

 

 

首都大との馴れ初め

 

718日土曜日、初めて首都大学東京へ行きました。我らが横浜国大の服部泰宏ゼミと首都大の西村孝史ゼミとの対抗ゼミナールの顔合わせのためです。初夏とは言いたくないような暑い日だったことを覚えています(土曜だから空調がつかなかったとかそんなことはまさか)。よそのゼミ生と出会うのはある意味二回目(一回目は服部ゼミに新たな仲間が加わった時です)でしたが、それでも、何だか臆病な小型犬が自分のテリトリーへの侵入者にグルルと警戒するような、一回目のときとは違う感覚を覚えました。(後になって考えれば、これは強大なライバルへの対抗心や警戒心のようなものであったのかな、と思います。)

 

各々自己紹介を終え、議員のような三角柱の名札を机に載せ、少人数のグループワークが始まりました。各班で初の顔合わせとは思えない活発な議論が展開され、そのころには小型犬の歯はキレイさっぱり仕舞われて、小型犬の大して高くもない鼻は、相手のにおいを確認する(相手がどのような人物なのか理解しようとする)ようなフェーズに進んでおりました。小型犬の高くない鼻が嗅ぎ分けた首都大生たちは、議論を円滑に進める能力に長けた笑顔の似合う人、どんな些細なことでもメモを逃さない几帳面な人、真っ先に発言をして皆をリードする人、さまざまな“ひと”達でした。グループワークが終わり、懇親会場へとなだれ込んだ末、各々卑近で高尚な話に華が咲き、ここでもまた種々のパーソナリティが見え隠れしたようなしなかったような笑。そんなこんなで、1219日の最終プレゼンへ向けた、首都大との対抗ゼミナールがキックオフとなったわけです。

 

 

 

 

 

期末テスト戦争と葉月のこと

 

国立大学のテスト期間と言うものは7月の末に設定されており、切って落とされたのは対抗ゼミ杯の火蓋のみならず、すでに切り落とされ、それどころかもはや記憶の奥底へと幾重にも重石を乗せて沈めていたはずの期末テスト戦争は、単位や卒業といった強力な兵器を振りかざした学校側の猛攻に、我々諸学生の圧倒的不利に戦況が傾いていた。(余談ではあるが、私の戦果は一敗であったことをそっと申し添えておこう。)

 

多くの学生に深い深い傷を残した期末テスト戦争も、一部の往生際の悪い学生を除いて、収束を見せたころ、待ちに待った救世主・夏休み(大学生は人生の夏休みだと揶揄されることもあるが笑)が到来したのである。

 

私はしがない塾講師であるため、8月中は勉学に汗を流す中高生たちとともに空調の効いたビルの中で、希望に満ち溢れた中高生のキラキラしたまなざしにあてられないよう注意しながら二次関数の頂点を求める方法や関係代名詞の制限用法について教えていた。夏休みなのだから、気の置けない仲間や愛しい恋人たちと山なり海なりショッピングなりに出かければよいものを、私に関しては自身のことはさておいて、やれ自習が足りないだ、やれ宿題をやってきなさいだ、と喚き散らしているうちに、さながら嵐によって赤らめた葉を飛ばされるがごとく、葉月は落葉してしまった。(本当は塾でのバイトだけでなく、バイクに乗ってさまざまなお山を駆けずり回ったり美しい花火を見たりなんだり、それなりに夏休みしい日々を送ったのだが、瞳のファインダーに納めておこう。)

 

 

 

 

 

ゼミ合宿だヨ!全員集合!

 

ADWプロジェクトも大詰めを迎え、最終打ち合わせを残すのみとなった頃、私たち服部ゼミ生は愛知県の企業へお邪魔させていただいた。いわゆる、夏のゼミ合宿である。こちらも服部ゼミの目玉と呼べる内容だが、ザックリといえば企業へお邪魔して新卒採用についていろいろと伺うというものである。企業のホームページをじっくり観察し、ゼミ生選考で私たちがどのようなことに悩み、どのような解決策を打ち出したのかを思い出しながら、採用における課題とは何であるのか頭をひねった。

 

実りある企業訪問を終え、私が抱いた一抹ならぬ不安は、本当に今回の企業訪問は意味があったのかということであった。確かに、各社の新卒採用の実態や課題などは良く分かった。しかし、それによって何を学んだと言えるのか、私は分からなかった。

 

このことをみんなに相談したところ、「何のために企業訪問するのか」という軸を決めようということになった。うれしかった。自分の考えていることが、的外れな…と言って、取り合ってもらえない気が少しだけしていたからだ。結果として、みんなで次の企業訪問の意味を考える機会になり、自分が抱えていたもやもやも解消された。そして、私達は気付いた。採用学としてのインプットがまだまだ不十分であったことに。時を同じくして、先生の執筆が大枠で完了していた「採用学」をいただき、全員が読み漁った。こうして、夏合宿に始まる連戦の企業訪問は一段落を迎えた。

 

 

 

 

 

動き始めた対抗ゼミ

 

1023日金曜日、いつものゼミ室で各々が研究のプロポーザル(こんな研究したいですという提案)について話をしました。正直な話をすれば、私の考えた研究内容は前日か前々日ぐらいに考え始めた物で、練りに練った渾身の力作という物からは程遠かった。その研究内容は、「スーツの着こなしが内定獲得率にどのような影響を与えるのか」という物。ほかのみんなの研究案を見てみると、少し堅めのものから、採用とはまったく違うベクトルまでさまざまで、改めてこのゼミの多様性を感じた瞬間でした。今回の対抗ゼミでも、数人のグループに分かれて活動を行います。私達は毎回違う組み合わせになるように心がけていたので、今回グループも初めての顔ぶれでした。同時に私たち2期生を助けてくれるチューターとして各班に1期生が割り当てられました。

 

私たちのグループは、ゼミ内でも有数のキレ者(文字通りの笑)の集まりだったため、私が思いついたグループ名は「チーム喧嘩」。ぴったりだと思いました。研究プロポーザルは、残り二人のメンバーの研究内容だと調査が難航するであろうと予想されたため、大枠で私の「リクルート服装学に関する調査」と決定しました。チューターにその旨を報告すると、まず真っ先にツッコミが入ったのは、そもそもスーツの着こなしなんて面接官が見ていないのでは、という「服装への無関心説」でした。確かに…と思いました。そこで、今回の調査の一本目の柱が出てきます。「服装への無関心の検証」です。私服面接で許容される私服はどんなレベルなのか、調査することにしました。

 

服装が内定獲得率に影響するのか、という研究では、内定獲得率を定義すること、データを収集することが非常に困難なため、服装が採用面接の評価に影響するのか、という問いに至りました。私服のひとがすごい事を発言すれば、ギャップで評価が増大されるのではないか、ということです。チーム喧嘩の研究プロポーザルは、かくして決定したのです。

 

 

 

 

 

4月からの戦いADW完結

 

 1127日金曜日に、4月から続いていたADWプロジェクトの最終発表の場が設定された。初めて企業説明会を目にしてから、あるときはゼミ生選考を行いながら、あるときは企業訪問の準備をしながら、あるときは対抗ゼミの準備をしながら、あるときは先生のバースデーサプライズを準備しながら、たとえほかのプロジェクトと重複することがあっても、片時も忘れることは無かったような片時くらいならあったような…、それでも真剣に向き合ったことは事実であり、中間発表で担当の人事の方にお褒めいただいたこと、ご指摘いただいたことは今でも深く心に刻まれている。

 

 最終発表の場面、我らがチームみかんは3チームの殿を務めることとなり、先の2班の発表を、手汗に資料をフニャらせながら見ていたわけである。そして、決戦の時来たれり。我らが発表資料「Prezi」の調子は良好、打ち合わせも万端、劇中劇も成功し、発表は100%の力を出し切ることができた。総括で各班の提案についてお褒めの言葉をいただき、検討しますといわれた時、4月から始まったこのプロジェクトの成果を認めてもらえた気がして、大変うれしかった。

 

 担当の人事の方からも、学生の成長というのはすごいね、という本人たちはいまいちピンとこないコメントをいただいた。(ちなみに後記としてこの振り返りを書いている今は、その言葉が一番うれしい言葉でもある。)私たち学生の戯れ、とは言わないが、企業でありながら学生の学びにも協力していただけたこと、改めて感謝を表さずにはいられない。私たちの本気を受け止めてくれて、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

完結!対抗ゼミナール!

 

 1023日のプロポーザル会議から、対抗ゼミナールにおける私たちチーム喧嘩の「喧嘩(と書いて語り合いと読む)」の記録を、時系列に沿って記すとしよう。

 

 プロポーザル会議から11月上旬までの2週間ほどは、プロポーザル(どんな研究をしたいのかという企画書のようなもの)の推敲に費やされた。私が三日三晩しっかりと惰眠を貪りながら考えたプロポーザルは、伊達ではなかった。穴だらけである。各所からツッコミが入った。メンバーと協力しながら、新たなプロポーザルの完成を急いだ。そうは言っても、メンバー各位、多忙な大学生であり、基本的には個人が検討を重ね、その成果を集合できたタイミングで擦り合わせる形をとらざるを得なかった。

 

 我々のリクルート服装学の旅に目指すべき目的地ができたのは1110日の大規模大衆向喫茶店兼食堂ガストでの全体会議でのことであった。4時間にわたる壮絶な喧嘩であった。我々の研究プロポーザルは「新卒採用面接における服装および発言の及ぼす評価への影響」というものに決定した。

 

 プロポーザルの決定後、我々はすぐさま行動を開始した。アンケートの作成、模擬面接の映像およびその台本、アンケート収集のためのゼミホームページ作成、HTMLの勉強、服装への無関心を調査するための写真撮影、最終発表の日程を考慮すると、それらを可及的速やかに実装状態へ持っていかなければならなかった。(このタイミングでADWプロジェクトの最終プレゼンが控えることとなったため、対抗ゼミのメンバーだけでなく、ADWプロジェクトのメンバーとも打ち合わせを行う必要があった。)

 

 11月下旬から実装となったアンケート収集は、困難を極めることとなった。何せ相手は学生とは比べくべくもない忙しさの社会人、我々は持てるすべてのコネクションを活用し、アンケートへの協力を要請した。そして、127日、集まった80名弱のサンプルをもって、収集を完了した。

 

 ここから始まるのは、分析のフェーズである。学生の調査にありきたりだが、我々も一切の例外を許されず、成果の出ない分析結果に打ちのめされることとなった。横浜国立大学のパソコンには、IBM社のSPSSという統計分析ソフトが入っている。自慢ではないが、私の統計学の成績は及第点ギリギリのものであり、いうなれば、走り高跳びで飛び終わったときにバーがグワングワン揺れているような状態だったため、分析は難航した。しかし、メンバーの一人が覚醒の時を向かえ、分析の速度は一気に加速した。SPSSマスターの誕生である。

 

 時を同じくして、ゼミ内での中間発表のタイミングがやってきた。チーム喧嘩は、分析の結果をまとめて、ひとまず出来上がったパワーポイントを使い、発表を行った。プレゼンは、私が一人で行った。不安は無かった。ストーリーはすべて頭に入っていたし、何より、信頼するゼミメンバーへの発表だ。何も問題は無かった。しかし、発表後のある質問が私たちの成果だと思っていたものが、幻であることを諭してくれた。私たちの分析は自らが考えたストーリーへ近づけるため、幾分か盲目的になっていた。冷静になり、メンバーで話し合った。もう一度、はじめからやり直すこととなった。

 

 最終発表までは、残り一週間となっていた。ポ○モンで言うところの、目の前がまっくらになった状態の我々は、SPSSマスターの協力の下、すべての分析をはじめから、網羅的に行うこととした。彼女と私で分析してほしい内容を書き出し、すぐさまマスターがその分析結果を教えてくれた。そして、すべての分析をホワイトボードに記したとき、私達は新しいストーリーに出会った。リクルート服装学の新しい旅が、締め切りまで一週間というタイミングで始まったのである。

 

 最後の一週間、私に課されたミッションは、プレゼンテーションの準備であった。新しいストーリーを分かりやすく伝えるため、中間発表で作成したスライドからすべて一新することとした。数時間をかけ完成させたスライドをメンバーに見てもらい、最終調整、最終打ち合わせを行った。最後のプレゼンは彼女と私の二人で行うこととした。

 

 そして、プレゼン当日。ほかのどのグループよりも早く現地入りし、打ち合わせをした。あとは、すべてをぶつけるだけだと思った。

 

 何の因果か、またもや殿を務めることとなった我々は、ほかのグループの発表をすべて聞く羽目となってしまった。もう手汗が滝のごとく、資料がふにゃふにゃセカンドである。

 

 結果として、最優秀賞は手にできなった。でも、今回の対抗ゼミナールで得た経験は、何ものにも代えがたく、間違いなく私の大学生活における一大トピックなのである。学生は、自身の成長に疎い。でも、私は今回の活動で成長できたと思う。きっとこの気持ちはあと数ヶ月もすればより強い確信へと変わるだろう。密度の濃い、充実した時間だった。最高の、対抗ゼミだった。

 

 

 

 ひが、まいこはん、ありがとう。最高の喧嘩だった。

 

 先生、服部ゼミに入って、本当に良かったです。ありがとうございました、これからも宜しくお願いします。

 

 OJさん、岡本さん、お忙しい中、尽力いただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

振り返りの振り返りは、新年の抱負

 

新年明けましておめでとうございます(現在201615日)。振り返りを改めて読み直し、いやぁ、長いようであっという間の一年だったんだなぁなんて、年寄りみたいな感想を抱いたりしている今日この頃でございます。

 

これから始まるのは、人生の大きな岐路となる“就職活動”です。この一年、ゼミとして、チームとして動いてきた私達は、個人の戦いへと踏み出します。自分と向き合い、自己否定と自己肯定を繰り返して、自分の人生と向き合うことになると思うのです。きっと、逃げ出したくなることもあると思います。自分と向き合うことに疲れ果て、社会の荒波にもみくちゃにされ、心身ともに衰弱しきったときに助けてくれるのは誰でしょうか。家族、恋人、趣味、そういったパーソナルな部分と肩を並べて、ゼミの仲間がいる気がします。そんな仲間であると、僕は一方的に思っています。きっと、みんなも思っています。

 

初詣のおみくじは大吉でした。当然です。こんなにもすばらしい仲間に囲まれているんですから。そしてこの大吉は2016年も継続します。掴み取ってみせます、よいお年。成せば成る、成さねば成らぬ何事も。さて、少々脱線が過ぎましたが、ここら辺で全長7000字にわたる2015年の振り返りを終えようと思います。ではではみなさま、良いお年を掴み取りましょう~。