採用における「エピソード偏重」について
就活における「エピソード偏重」を、僕は危惧しています。
就職活動(新卒採用活動)では、「大学時代の特筆すべき"達成"や"チャレンジ"のエピソード」
が求められることが多いわけですが、これが学生たちを大いに混乱させている気がします。
やや控えめにいうと・・・混乱させていることがある・・・気がします。
(一応注釈を入れておきますが、僕がここで指摘したいのは、エピソードを求めること自体ではなく、その使い方の方です)
採用担当者のみなさんの思考回路を推測するに、そういうエピソードを求める理由には大きく
分けて2つがあるように思います。
1つは、単純に、特筆すべきエピソードをもっている人は、「優秀」であると考えるから。
優秀さというのはわかりにくいものだけれど、エピソードは「優秀さのシグナル」となって、
それを表面化し、わかりやすくしてくれる。
たとえば、「アメリカ留学経験」はグローバルな志向を持っていることや日常的なコミュニ
ケーションを英語で取れること、「起業経験」は行動力と課題設定力をもっていることの、
シグナルになるわけです。要するに、「エピソードを持っている」→「ゆえに優秀だと評価
できる」というのが1つ目の用法の論理であり、これこそが本来の使われ方なのだと思います
(実は、これ自体に問題があると僕は考えていますが、ここではそこには触れないでおきま
す)。優秀さのシグナルとしてのエピソードとでも呼んでおきましょう。
・・・・と、これが本来の使われ方なのだけれど、実際の採用ではもう1つの、
よりトリッキーで、「大人の事情」による使い方が紛れ込んでしまっているように思います。
たとえばある担当者が2人の学生を、「高い課題設定力」と「主体性」という全く同じ基準で
評価したのだけれど、どちらか一人だけを最終候補者として上司に提案できるとする。
で、片方の学生は学生時代に起業した経験があって、もう片方はそれがないとする。
この場合、担当者にとって、どちらの学生の方が最終候補者として提案しやすいか、
どちらの学生の方が上司を説得しやすいか・・・・多くの人は、前者だと考えるでしょう。
「この人は課題設定力があります、だってほら、起業経験があるし・・・」
って言えるのだから。
要するに2つ目の用法には、「この学生は優秀だということを示したい」→「ゆえに優秀さを示すエピソードが欲しい」という、全く逆転した論理があるわけです。
「大人の事情によるエピソード主義」とでも呼びましょうか。
・・・・問題は、本来の使い方であるはずの「優秀さのシグナルとしてのエピソード」
としての用法(1つ目)に、多くの場合、「大人の事情としてのエピソード主義」(2つ目)
が混じり込んでいることにあるように思います。
その学生が優秀であることを確かめたくて、そのために学生時代の「エピソード」が知りた
い・・・という採用担当者の気持ちはよくわかります。
個人の優秀さは、その人の具体的な行動や態度の中でこそ発露するから、「エピソード」
を聞き出すことによってそれを探り出すということ自体は、論理的に正しい。
でもそこに「大人の事情」が入り込んだ瞬間、優秀さを見極める(いろいろある中の、たった)
1つのツールでしかないはずの「エピソード」が、分不相応にのさばって、採用が極端な
エピソード偏重主義になっていくのだと思います。
これこそ、今、日本の大学生の多くを当惑させ、僕の言葉で言うところの「エピソード・
コンプレックス(他の学生よりも目立つエピソードがないことによってコンプレックスを
もってしまう、あるいはそれを解消するために、「エピソードを作ること自体を目的として
4年間を過ごしてしまうこと」)」を持たせてしまっている原因であると思います。
エピソードなしに、その学生の優秀さをいかにして語りうるか、採用担当者にはここを期待したいところです。
・・・・そのエピソード、何に使いますか?