「架空の未来への信頼」が社会と経済を動かす

「お金の仕組みについて、もっと知りたい。」という学生の要望があったので、ここでちょっと、その内容を記そうと思います。

 

社会人の皆さんにとっては、なんてことのない話だと思います。

更に、ユヴァル・ノア・ハラリの名著『サピエンス全史』(河出出版新社)をお読みの方には、すでに聞いたことのある話ですらあると思います。

この本の1つの主張を端的にいえば、社会の経済的な発展は、社会の成員である僕たちがもつ、「架空の未来への信頼」によって支えられているという事になります。

 

いま仮に、起業家Aさんが100万円を稼ぎ、これをY銀行に現金で預金したとします。
この預金によって、Aさんの銀行口座は100万円になり、Y銀行の金庫には100万円の現金が入れられたことになります。
ちょうどその時、Bさんがある画期的な製品を開発し、そこにビジネスのチャンスを見出したとしましょう。
これをリリースすれば絶対にうまくいくという自信があるのだけれど、Bさんには、それを広告したり、売り込んだりするだけの資金がない。
そこでBさんは、Y銀行に依頼をし、担当者から100万円の融資を受ける約束を勝ち取った、とします。

 

Bさんの口座には、さっそくY銀行から100万円が入金され、それを元に、その製品の広告・宣伝、販売ルートの確保に関する契約を外部の業者を結び、その代金として100万円を支払った。
で、その業者がたまたま上記のAさんだったとします(あくまで、わかりやすく、話を単純化するために)。
この時、Aさんの貯金通帳に記された残高は200万円(元々の100万円+Bさんから得た100万円)ですが、実際にY銀行の金庫にあるのは、依然として100万円のままなのです。

 

なぜこういうことになるか・・・・・

 

Y銀行は確かにBさんに100万円を融資したし、BさんもAさんに100万円を支払っているのですが、どちらの場合も100万円を現金で手渡しているわけではなく、口座に記載される数字上のやり取りが行われてに過ぎないので、その間、銀行の金庫にあるお金は一切動いていないこと、それが理由になります。
僕たちの預金通帳に記載された預金額の多くは、実際には、銀行の金庫の中には入っていません。
「銀行は一定の範囲内であれば、現時点で実際に保有している現金を超えた額のお金を融資することができる」と法律によって定められていて、実際に銀行はその範囲内でお金を積極的に動かしているからです。
だから仮に、僕たちみんながいま、銀行から全財産をおろそうと一斉にATMに走ったとしたら、その銀行はあっという間に破綻してしまいますし、預金者たちの預金合計金額を知って、鼻息荒く銀行強盗に行った人は、確実にがっかりして帰ってくることになるわけです。

 

・・・・というような仕組みであるにもかかわらず、実際には大きな混乱なく経済が回っているのは、僕たち人間に、「架空の未来への信頼」をする能力があるからなのです。

 

ここでいう信頼には、
(1)Bさんのビジネスはうまくいくであろうという、Y銀行側の信頼と、
(2)将来、お金が必要になった時にY銀行がちゃんとお金を支払ってくれるという、Aさんの信頼
の2つが含まれます。


この2つは微妙に意味が違うわけですが、いずれも、まだ実現していない、その意味で本当にそれが実現するかどうかが不確定な架空の未来に対して、「きっと大丈夫だろう」と思い込み、疑わないことに関わっています。

 

経済の発展を可能にするのは、まさにこの「架空の未来への信頼」であり、それを可能にするシステム(銀行、現代でいえばクラウドファンディングなど)なのです。
「まだ見ぬ未来にかける」ことを誰もしない社会であれば、誰かが描いた「ビジネスプラン」や「壮大な夢」は、プランや夢のままで終わっていくでしょうし、新しいものは何も生まれない。
「金持ち」は稼いだ金を他人のために使おうなどとは決して思わず、それこそ中世の貴族がそうであったように、持つ者たちは自らの財産を自らの享楽や刹那的な喜びのために使い切ってしまうことでしょう。

 

そして、一見話が飛躍するように思われるかもしれませんが、自分ではない誰かの「架空の未来への信頼」は、実は人が人を「採用する」という場面においても、とても重要な意味を持つのでは何かと、僕は思うのです。
新卒者を採用するということは、一方で、その人が将来時点で今よりも成長することであったり、今はできないとしても、いつかは会社に大きな貢献をしてくれることであったりに対する信頼を「会社側」が持つということ、他方で、その会社が少なくともしばらくの間、安定的な成長を遂げ、雇用主としての支払い能力を持ち続けること、更に言えば、その会社から、自分自身が成長するだけの仕事や機会が十分に提供され続けるであろうという信頼を「求職者」が持つこと、そういう「架空の未来への信頼」が相互に成立することが大前提となっているはずなのです。

 

少なくともそうあるべきだと、僕は考えています。

 

そう考えた時、今の新卒採用のシステムにおいて、そうした「架空の未来への信頼」がどこまで担保されているだろうか。
「特定の企業で長期にわたって雇用される続けることを嫌がる学生が増えている」という事実は、あるいはこの「架空の未来への信頼」の問題に深く関わっているのではないだろうか。

 

こう考えるとき、僕が、そして採用担当者の皆さんが解こうとしている「新卒採用」という小さな小さなパズルは、実はこうした社会の大きな大きなパズルの縮尺版なのではないか。
そんなことを、ふと考えるのです。